

| 時代 | 西暦 | 和暦 | 稲城の歴史 | 西暦 | 日本・その他の歴史 |
| 旧石器 | 100万年前頃 2万年前頃 |
前期 |
稲城砂層の堆積(多摩丘陵一帯の浅海域時代) 多摩地域一帯の陸化。古相模川の東進と御殿峠礫層堆積 |
関東山地の隆起と関東平野部の海湾時代 信州の火山活動で多摩ローム層形成される |
|
| 後期 | ナイフ型石器が作られる(坂浜遺跡・京王帝都相模原線遺跡など) 尖頭器・細石器が普及する。気候が徐々に暖かくなる |
氷河期の寒冷な気候が続く。 火山の噴火。日本列島一帯の海水準低下 ナウマン象などの大型動物が絶減する |
|||
| 縄文 | 1万2000年前頃 | 草創期 | 隆線文土器が使われる(駒沢学園校地内遺跡) 有舌尖頭器や局部磨製石斧が使われる |
土器が発明される 多摩川流域でもサケ漁が行われる |
|
| 早期 | 狩猟具が槍から弓矢へと変わり、小動物の猟が盛んになる。 丘陵斜面に「おとし穴」を作りシカやイノシシを獲る |
尖底土器が盛んに作られる この頃狩猟・漁撈・採集生活の基礎がつくられる |
|||
| 前期 | 丘陵上に小規模の集落ができる | 東日本を中心に貝塚が形成される | |||
| 中期 | 坂浜や平尾の丘陵上に大規模の集落が作られる(No.471遺跡など) | 集落が大型化する | |||
| 後期 | 平尾の集落を最後として、稲城周辺から縄文人は姿を消す | 東北地方から亀ケ岡文化が伝わる |
|||
| 弥生 | BC300 年頃 |
前期 | 稲作が伝わり関東・東北地方に広まる | ||
| 中期 | 稲作が伝わる(平尾台原遺跡) | 環濠をめぐらした大集落がつくられる。鉄製の農工具が普及する | |||
| 後期 | 平尾台原に集落や方形周溝墓が造られる | 広い水田と灌漑水路をもつムラができる (登呂遺跡) |
|||
| 古墳 | AD300 年頃 |
前期 | 平尾台原に集落が造られる | 前方後円墳が造られる | |
| 後期 | 平尾・坂浜・大丸地域に住居や横穴墓が造られる。須恵器の生産が百村の丘陵部で始まる | 竪穴住居内にカマドが造られる 百済から仏教が伝わる |
|||
| 奈良 | 大丸・瓦谷戸で武蔵国分寺造営のための瓦や磚が焼かれる 平尾・坂浜・大丸地区で住居や工房が造られる |
710 | 都を平城京に移す | ||
| 752 〜758 |
東大寺大仏の開眼供養を行う 武蔵国分寺落成 |
||||
| 平安 | 927 | 延長 5 | 延喜式の神名帳に穴澤天神社・青渭神杜・大麻止乃豆乃天神社の記載がみえる | 794 | 都を平安京に移す |
| 835 | 武蔵国分寺七重塔、落雷のため焼失 | ||||
| 1180 | 治承 4 | 石橋山の合戦に稲毛重成参加 | 1180 | 源頼朝挙兵、石橋山の合戦 | |
| 鎌倉 | 1199 | 正治 元 | 穴澤天神社が創建されたと伝えられる | 1192 | 源頼朝、鎌倉幕府を開く |
| 1205 | 元久 2 | 稲毛重成・小沢重政・畠山重忠殺される | |||
| 1241 | 仁治 2 | 多摩川流域に灌漑施設を作り、水田を計画する | 1198 | 稲毛重成、馬入川に橋を架ける | |
| 1221 | 承久の乱 | ||||
| 1241 | 多摩川流域に灌漑施設を作り、水田を計画 | ||||
| 1295 | 永仁 3 | 稲城最古の板碑(百村大墓)建立。この後板碑の建立が盛んになる | 1333 | 分倍河原の戦い、鎌倉幕府滅亡 |
