自然原始古代の稲城          稲城市郷土資料室 歴史展示室

稲作文化のひろがり

弥生古墳時代


弥生時代の生活のイラスト弥生時代の生活

  縄文時代に続く弥生[やよい]時代は、大陸から渡来した米づくりが日本列島に広まり、金属器(鉄器と青銅器)の使用とともに、人々の生活や文化を大きく変えていった時代です。米づくりの開始は、縄文時代晩期頃に北九州地域で始まり、東北日本の地域に広まりました。関東地方に弥生文化が伝わったのは、弥生時代中期のころで、多摩地域でもこの時期の遺跡が、数か所で発見されています。

 稲城市域では弥生時代の遺跡は大変少なく、集落遺跡は平尾台原遺跡のみです。この遺跡では、弥生時代中期と後期、そして後期末から古墳時代前期にかけて、三度にわたって集落がつくられ、住居跡22軒、方形周溝墓[ほうけいしゅうこうぼ](方形の溝で囲まれた墓)5基が発見されました。稲城の地に最初に米づくりを伝えた人々は、平尾台原の地を拠点として集落をつくり、活動していました。 

平尾台原遺跡の写真平尾台原遺跡


 弥生時代に広まった稲作農耕は、古墳時代に入ると鉄器の普及や灌漑[かんがい]技術の発達によって耕作地が拡大し、農業生産力が増大していきました。やがて一般農民とは区別される地方豪族などの支配階級が誕生し、大規模な古墳が造営されるようになります。この時期の稲城市域からは、高塚[たかつか]形の古墳は今のところ発見されていませんが、横穴墓が6基発見されています。横穴墓[おうけつぼ]は、丘陵の斜面に横穴をほって墓室[ぼしつ]とした古代の墓で、群集して造られることが多くあります。市域では平尾、坂浜、大丸の丘陵地から発見されており、7世紀後半頃の築造と考えられています。この地域を支配した有力者の墓かもしれません。

多摩川周辺の古墳と横穴墓の図
多摩川周辺の古墳と横穴墓

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