稲城市

多摩川の鮎漁(あゆりょう)

最終更新日:2017年6月28日

多摩川中流域の鮎漁(あゆりょう)


稲城市は多摩川の中流域にあたり、昔からいろいろな川漁(かわりょう)が行われてきました。多摩川中流域に生息する多くの種類の魚は、昔の人々にとって貴重な食料源となりました。特に鮎は商品価値が高く、各種の漁法が発達しました。稲城周辺の多摩川で行われた鮎漁(あゆりょう)には次のようなものがあります。釣竿や置釣(おきつり)による釣漁法(つりりょうほう)、弾(は)ね網(あみ)、投網(とあみ)、待(ま)ち網(あみ)、代網(だいあみ)などによる網漁法(あみりょうほう)、箱目鏡(はこめがね)や漁船(りょうせん)を使っての突(つ)き漁法(りょうほう)、そして鵜飼(うかい)です。

多摩川の鮎漁の歴史

多摩川の鮎漁については、すでに鎌倉時代から文献に登場しますが、有名になるのは江戸時代になってからで、江戸城への鮎上納(あゆじょうのう)が始まってからです。八代将軍吉宗(よしむね)は御留川(おとめがわ)と言って御用(ごよう)の鮎漁以外の漁を禁止したこともありました。歴代の将軍や明治天皇、皇族の人々も、たびたび多摩川をおとずれ、鮎漁を楽しんでいます。明治時代以降は、多摩川は自由な漁場となり、屋形船(やかたぶね)による鮎漁見物なども発達しました。この頃に鵜飼が行われるようになり、昭和初年まで続けられました。府中市の四谷(よつや)、是政(これまさ)から鵜匠(うしょう)を頼んできて、大丸、東長沼、押立、矢野口の多摩川で鵜飼が行われました。ほとんどは昼間で徒歩使(かちづか)いで、1人の鵜匠が2匹の鵜(海鵜)を使い、勢子(せこ)(網を引く人)2人が鵜先網(うさきあみ)を引いて鵜飼漁が行われました。このような鵜飼の様子は屋形船によって見物されました。

画像 アユカゴ
アユカゴ

画像 多摩川の鵜飼
多摩川の鵜飼

画像 鮎漁の様子(江戸名所図会)
鮎漁の様子(江戸名所図会)

画像 モジを使っての鮎の代網漁
モジを使っての鮎の代網漁

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