稲城市

No.144 能登半島地震への支援

最終更新日:2024年1月12日

昨年は長かった新型コロナ禍もようやく収束しました。本年は辰年で、龍が天に昇るがごとく社会生活・経済活動が復興することを祈願するため、私は年明け午前0時から市内各地の神社の歳旦祭・元旦祭を梯子しました。最後に穴澤天神社の参拝を終えて地元の新年会に参加していたところ、石川県で大地震が発生してしまいました。
 
稲城市消防本部では、発災直後から情報収集を開始し、元日夜には消防長から第一報を受けました。友好都市である野沢温泉村へ安否確認し、災害時応援協定を結んでいる全国青年市長会事務局にも状況確認し、その時点では動きがないとのことだが、要請があれば即応できるよう準備を指示しました。
 
翌2日には消防長から第二報を受け、緊急消防援助隊の資機材を準備し、迅速に出動できる態勢を確保しましたが、その後しばらくは指示待ちの状態でした。
 
この間、地震・津波・火災による甚大な被害状況をマスコミ報道で知り、要請を待たずに支援を行う必要を感じました。4日には市役所ほか市内公共施設11カ所で義援金の募金を開始すると共に、能登半島の羽咋市にペットボトル飲料水1,600本を緊急支援物資として搬送しました。
 
そして8日には東京都総務局から緊急消防援助隊の出動指示を受け、総務省消防庁から活動区域は輪島市、宿営場所は能登町の「やなぎだ植物公園」であるとの指定を受け、9日に稲城市消防本部から緊急消防援助隊東京都大隊の一員として1小隊を派遣しました。能登半島では道路が壊滅状態にあり、第一次派遣隊は、稲城消防署前から現地到着まで、実に29時間を要することになりました。
 
第一次派遣隊では、輸送車両に可能な限りの支援物資を搭載し、簡易トイレ10台・テント10張り・トイレの交換袋1,200枚を輪島市に搬送しました。
 
稲城市消防本部からの派遣隊の任務は後方支援で、宿営テント49張りの設営・土のう作成、活動隊のデコンタミネーション(汚れた活動資器材等を洗うエリア)の設営・活動隊の燃料管理・飲料水管理・活動隊帰還後の除染等に従事しました。しかし、当初は人員不足もあり、輪島市朝市の火災現場で捜索活動や安否確認にも従事しました。
 
その後12日には第二次派遣隊を送り出し、基本的に三泊四日でローテ―ションしながら、直近では27日に第七次派遣隊を送り出しました。
 
また、被災地の中でも被害の大きな珠洲市・輪島市を支援するため、珠洲市は9日から、輪島市は10日からふるさと納税の災害支援代理寄附金受付を開始しました。被災地では市役所職員も被災しており、寄附金受領証の発行事務等に人員を充てることが困難なため、寄附者が税控除に必要な書類の作成を稲城市役所が無償で代行するものです。
 
更に、東京都看護協会から稲城市立病院に対して災害支援ナースの派遣要請があり、避難所である「いしかわ総合スポーツセンター」において24日から27日まで、要介護高齢者である避難者のケアを行いました。
 
なお、東京都市長会から事務職員の応援要請があり、27日から派遣しています。これは住家被害認定業務における全壊判定を行うもので、熊本地震の際にも現地で同様の業務を実施した経験者を派遣しています。
 
今回の派遣先は輪島市ではなく都庁の会議室とのことで驚きました。現地の職員が撮影した写真や概要データを基に、被災者生活再建支援システムを活用してリモート判定を行うもので、ITの進化を感じさせる業務内容に感心しました。
 
本稿を作成している時点での支援状況は、以上のとおりです。
 
稲城市は小さな自治体であり、我々が提供できる支援には限界がありますが、全国の多くの自治体が集結することによって、大きな力となります。そして、小さいながらも稲城市は単独で市立病院を経営し、独自の消防本部を運営していることもあり、一般事務職員だけではなく専門職員の派遣により貢献できることを誇りに思います。
 
市では今後も能登半島地震被災地の復興支援を継続してまいります。
 
市民の皆様にも、ご自身のできる範囲で結構ですので、ご協力をいただきますよう、お願い申し上げます。

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