大丸用水と葎草橋碑
東長沼656番地先の大丸用水(菅堀)にかかる橋のたもとに葎草橋碑があります。この石碑は、当時から農業用水として大変重要な役割を担っていた大丸用水にかかる木橋を、天保9年(1838年)に長沼、押立両村の協力で石橋にかけ替えたことを記念して建てられたものです。
石碑は、高さ126センチ、幅35センチ、厚さ23センチの角柱形で、表面には葎草橋の由来が刻まれています。この銘文には天保9年10月に石橋が完成したことが記されていますが、石碑の造立年代についての記載はありません。おそらく天保9年以降の幕末に建てられたものと思われます。石碑の右側面には「渠田川や多摩の葎の橋はしら、動ぬ御代の石と成蘭」という歌が刻まれ、安定した世の中を願う両村民の気持が表わされています。左側面には、江戸・八王子・川越・府中・小田原・大山・川崎・日光山の各方面への里程が書かれ、道標としての機能をはたしていたことがわかります。裏面には、「長沼村・押立村惣邑中」と書かれ、両村の協力による造立であることがわかります。
葎草橋を渡る旧道は、北へ行くと多摩川の渡船場(押立の渡し)に通じ、当時の幹線道路の一つでした。大丸用水を境として北側の押立村南側の長沼村にとって、幹線道路にある葎草橋の存在は大変大きなものであり、石橋へのかけ替えは両村民の悲願であったようです。葎草橋碑は石橋記念碑でありながら、道標としての機能をもち合わせた類例の少ない貴重な石碑といえます。
葎草橋碑
横から見た葎草橋
葎草橋碑の銘文