稲城市竪台遺跡出土品(いなぎしたてだいいせきしゅつどひん)
奈良・平安時代の土師器、須恵器、灰釉陶器
稲城市竪台遺跡
百村の竪神社南東側に広がる台地上に、稲城市竪台遺跡がありました。平成3年から5年に発掘調査が行われ、縄文時代と奈良・平安時代を中心とする遺跡であることが明らかになりました。発見された遺構は、縄文時代では竪穴住居跡5軒、狩猟用の陥し穴土坑310基、奈良・平安時代では竪穴住居跡78軒、掘立柱建物跡41軒、土器焼成のための竪穴遺構5軒などです。特に貴重な遺構は奈良・平安時代の住居跡と掘立柱建物跡で、8世紀から11世紀にかけて断続的に営まれたことがわかりました。
これらの遺構からは大量の土器や石器、鉄器などの遺物が出土しましたが、特に重要な出土品123点については、稲城市有形文化財に指定されました。
縄文時代の資料
縄文時代の資料は前期と中期の土器で、竪穴住居跡の中から出土しました。縄文時代前期の深鉢形土器1点、中期の深鉢型土器2点、中期の器台1点です。前期の土器1点と、中期の土器1点は、煮炊き用に使われたと考えられています。また、中期の残りの土器1点は、住居の中の炉として使われていました。器台は、高さ9.7センチメートル、直径15センチメートルで、物を置く台として使われていましたが、大変出土例の少ない資料です。
奈良・平安時代の資料
奈良・平安時代の資料は合計119点で、土師器と須恵器が67点、緑釉陶器と灰釉陶器が6点、鉄の道具34点、その他12点です。
【土師器と須恵器】
土師器は弥生土器の伝統を引き継ぎ、低温で焼成した茶褐色の土器です。資料としては長胴甕、坏形土器、甑、台付甕、鉢形土器、羽釜などで、計23点あります。須恵器は朝鮮半島から伝来した技術により、ロクロで成形し、窖窯を使って高温で焼成した灰色の土器です。資料としては、坏形土器、高台付皿、椀形土器、蓋などで、計44点あります。これらの土師器と須恵器は、煮炊き用や食器など生活の中で日常的に使われた道具といえます。
【灰釉陶器と緑釉陶器】
灰釉陶器は、藁などの植物灰を原料にした釉薬をかけた焼き物で、日常的な食器類より少し上質な器です。緑釉陶器は鉛が入った釉薬を使用した焼き物で、黄緑色をした陶器です。日常的な道具とは違い上質で祭礼用などに使われました。両陶器とも出土例が少なく貴重な資料です。資料としては緑釉陶器の椀、灰釉陶器の椀、高台付皿、長頚瓶など、計6点あります。
【鉄の道具】
奈良・平安時代には武器や農耕具、生活道具として鉄の道具が普及しました。竪穴住居跡の中からは当時使った鉄の道具が多数発見されました。資料としては、鉄鏃、鉄鎌、鉄斧、鉄製刀子、鉄鑿、鎹、鉄釘、鉄製紡錘車などです。
【その他の資料】
鉄の道具などを研いだ砥石、石製の紡錘車、漁労具としての土錘があります。
鉄の道具(刀子、鉄鏃、鉄斧、鉄鎌など)