No.149 故石川 良一氏への追悼
更新日:2024年7月12日
6月16日午前8時40分、前稲城市長・現東京都議会議員の石川 良一氏がご逝去されました。
数年前から体調不良であることは伺っておりましたが、昨年治療を終えたともお聞きしており、年末年始の会合等でお会いした際には声にハリが戻り、血色も良くなっており、1月14日の稲城市消防出初式に出席された際にも元気な様子でしたので、体調は軽快されたものと思っておりました。
5月に病状が悪化され、市立病院に入院となりましたが、私がお見舞いに伺った時は思いのほか体調が良く、病状についてご本人から直接お話を聞くことができるほどでしたので、回復するものと信じておりました。
しかし、それから3週間も経たずにご逝去の報がもたらされたことは驚きと共に、たいへん無念でした。
石川氏は昭和58年、30歳の若さで稲城市議会議員選挙に挑戦し、トップ当選して2期務められました。平成3年には稲城市長選挙に転向し、当時全国最年少市長として当選し、それから平成23年まで5期20年の間、情熱と知恵を注ぎ、稲城の発展のために尽くしてくださいました。
石川氏が市長に就任した平成3年は、バブル経済が崩壊しはじめた年であり、右肩上がりの経済成長が
市民生活と福祉の向上のために、持ち前のリーダーシップで議論を先導し、適正な行財政運営に取り組み、強い意思を貫いて計画の見直し等を断行されました。
石川氏の功績は、本稿の紙面ではとても言い尽くすことができませんが、主なものを振り返ってみますと、多摩ニュータウン長峰・若葉台のまち開き、城山小学校・長峰小学校・若葉台小学校・平尾小学校・第六中学校の開校、学校給食共同調理場第二調理場・城山文化センター・中央公園・総合体育館・総合グラウンドの開設等、数多くの公共施設の整備を進めてこられました。
また、多摩ニュータウン事業の進展に伴い周辺の市街化も急速に進む中で、稲城大橋・稲城インターの開通、南武線連続立体交差事業の着手等も確実に進められました。
石川氏の様々な事業推進と改革は、時に市議会や市職員との間に
他市に先駆けた様々な改革の積み重ねが、今日の稲城の成長という成果につながっています。現在そして将来も更に躍進する稲城のまちづくりの礎を築き、導かれてこられましたことに対し、深く感謝いたします。
6月24日の告別式の際には、自治功労者石川 良一氏へ稲城市を代表して私から弔辞を述べさせていただきました。
残された我々は、未だ発展途上にあるこのまちを、少しでも完成に近付け、そして次世代に引き継いでいくことをお約束することが石川氏へのご恩返しであると考えます。
衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌
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