No.22 稲城第一小学校創立140周年記念式典に出席して
更新日:2013年8月13日
(広報いなぎ平成25年8月15日号掲載)
平成25年7月6日の土曜日、たくさんの関係者にご列席いただき、記念式典が盛大に執り行われました。
稲城第一小学校は、稲城第二小学校とともに明治6年の開校で、市内で最も古い小学校ですが、本校の起源である長沼郷学校(明治4年創立)から起算すると、東京都内でも三番目に古い小学校となります。
ちなみに、一番古い小学校は明治3年3月3日に創立した立川の柴崎郷学校を起源とする立川第一小学校、二番は明治4年4月3日に創立した世田谷の太子堂郷学所を起源とする若林小学校です。稲城の長沼郷学校は、その一週間後4月10日に創立しています。
ところで、郷学校とはどのような学校だったのでしょうか。時は明治維新、江戸幕府に代わり新政府が政権を担いました。この新政府は、我が国を西欧列強の植民地にさせないため、欧米と対等な一等国へと強い国をつくる様々な政策を進めました。その柱の一つが教育改革で、学校の設置にいち早く取り組んでいます。
明治2年2月、新政府は東京府や各県の施政方針を示す「府県施政順序」を定め、この中で郷村(複数の村を単位とする行政範囲)を単位として学校の設置を勧めました。これに基づき設置されたのが郷学校です。
当時の多摩地区は神奈川県に属しており、明治4年に県内に郷学校の設置が指示されました。この指示に従って実際に設立されたのは15校ということです。近隣では、町田小野路に小野郷学校、調布に布田郷学校、堀之内村に柚木学校、高幡村に高幡学校、日野宿に日野学校、連光寺村に向ヶ丘学校が設立されています。
明治5年8月には「学制」が発布され、この新制度に基づく新たな小学校が発足したため、郷学校は短期間で役目を終えました。
明治6年、長沼郷学校地区では大圓・博文・潤身の三学舎が設立され、新たな小学校へと引き継がれました。同年、坂浜地区では宝蔵院の私塾を起源として「立志小学校」が開校されています。
このような歴史と伝統のある学校に学んでいる児童の皆さんは、ぜひ誇りに思ってください。そして、このような月日を積み重ねてこられたのも、歴代の先生方、ご支援をいただいた地域の皆さんのおかげであり、心から敬意と感謝を申し上げます。
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