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広報いなぎ
平成31年1月1日号 4-5面


      
受け継がれる 伝統文化
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 私たちの郷土「稲城」に人が住み始めたのは、20,000年も前のことです。旧石器時代と呼ばれるこの時代に、当時の人々が使っていた石器が坂浜や平尾の丘陵部から発見されています。その後、縄文・弥生・古墳時代と続き、現代に至るまで、人々の生活が長い歴史の中で営まれてきました。
 今号では、稲城市の民俗文化財にスポットを当て、現代に受け継がれる伝統文化を紹介します。伝統文化を後世に伝えていくためにも、地域の伝統行事に参加してみませんか。
▽問い合わせ 秘書広報課広報広聴係

塞(さい)の神行事(どんど焼き)
 正月飾り等を1カ所にまとめて燃やし、炎に無病息災の願いを込めて行われる行事です。稲城市では、青少年育成地区委員会や自治会を中心に行われています。
塞の神行事とは
 この行事では、火を神聖視する信仰があり、燃やした火に体をあてると体が丈夫になる・燃やした火で焼いた物を食べると病気をしない・書き初めを火にかざすと字が上手くなる等と言われています。また、悪霊の侵入を防ぐ神である道祖神が祀られ、行路を守るとも言われています。
習わし
(1) 小屋をつくる
 竹や木で小屋の骨組みをつくり、ワラや飾り物で周りを囲みます。小屋の中には、御神体であるドウロクジンの石が祀られます。
(2) 小屋を守る
 小屋の完成から燃やすまでの間、火をつけられたり、ドウロクジンの石が盗まれるのを守るために、かつては子どもたちが小屋の中に寝泊りをしました。
※ 現在は、このような風習はほとんどありません。
(3) 小屋を燃やす
 燃やす火に団子や餅をかざして焼きます。これを食べると1年間無病息災になると言われています。

塞(さい)の神行事(日程)
地区期日点火時間場所
百村平成31年1月13日(日曜日)午後1時妙見寺
矢野口平成31年1月14日(月曜日・祝日)午前9時30分第七小学校校庭
東長沼午前10時淡雪公園
坂浜・長峰・若葉台北村鈑金裏
押立押立児童公園
大丸正午第六小学校校庭
平尾午後1時30分ふれんど平尾


      
受け継がれる伝統文化(1)
国の重要無形民俗文化財 江戸の里神楽
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 神楽は、神に捧げる舞踊として古代から始まり、民俗芸能の中で最も古い歴史があると言われています。仮面をつけた黙劇であり、神話の世界を中心に題材としています。
 現在都内では、山本社中(稲城市)・間宮社中(品川区)・若山社中(台東区)・松本社中(荒川区)の四つの江戸の里神楽が、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
ココで見られます!
 8月25日に行われる穴澤天神社例大祭(矢野口)で披露されます。

      
受け継がれる伝統文化(2)
都の無形民俗文化財 妙見尊の蛇より行事
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 萱をよって、100から150メートルもの大蛇を作り、悪疫を追い払うことを祈願します。選ばれた7人が萱を刈り取り、干した萱をよります。
 江戸時代初めから始まり、この蛇に触れると、災難や病気から免れるとされています。
ココで見られます!
 8月7日に妙見尊(百村)で行われます。

      
受け継がれる伝統文化(3)
稲城市指定無形民俗文化財 青渭神社獅子舞・穴澤天神社獅子舞
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 獅子舞は獅子の頭をつけて舞う芸能です。五穀豊穣・厄除け等の祈願として行われてきました。
 穴澤天神社獅子舞は江戸時代初期に、青渭神社獅子舞は江戸時代中頃には行われていたと記録があり、天狗と三匹の獅子による、京の都から鎌倉への旅物語です。はやし方として、笛吹・貝吹・歌方などが登場し、舞を盛り上げます。
ココで見られます!
 穴澤天神社獅子舞は8月25日の穴澤天神社例大祭(矢野口)、青渭神社獅子舞は10月6日の青渭神社例大祭(東長沼)で見ることができます。

      
稲城の教育の歴史をひも解く 奚疑塾(けいぎじゅく)と窪全亮(くぼぜんりょう)
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 「窪家奚疑塾関係資料233点」「清水家奚疑塾関係資料86点」が、平成30年10月に新たに稲城市指定文化財に指定されました。資料の一部は、郷土資料室(ふれんど平尾2階)でご覧いただけます。
奚疑塾
 奚疑塾は、明治13年から34年間にわたり、漢学者の窪全亮により東長沼に設立された小学校卒業者を対象とした私塾です。当時の稲城には小学校を卒業後の学びの場所は少なく、地域に根ざして開かれた奚疑塾は、稲城や周辺地域の人々にとって重要な教育機関の役割を果たしました。入塾者は稲城市域のみならず、他県までに及び、約800人を超える卒業生を輩出しました。
窪全亮
 窪全亮は、教育者・書家・漢詩人であり、奚疑塾の設立者です。「稲城」の地名の発案者とも言われています。
 漢詩人として活躍した大沼枕山(おおぬまちんざん)などから指導を受け、長沼郷学校の教師となり、神奈川県令の大江卓(おおえたく)から学務勤勉の賞を受けています。32歳で、貧しく学ぶことができない人のために、能力のある人に機会を与え伸ばしたいという思いから私塾を設立しました。
卒業者の動向
 卒業者の多くは後に、稲城を含む周辺地域の村長・議員や医師などとして、政治・経済・教育などの分野で活躍し、稲城市域だけでなく周辺地域も含めた三多摩地域の近代教育の歴史に大きな足跡を残しました。

▲窪全亮肖像

▲指定文化財に指定された奚疑塾関係資料