稲城市

歴史展示室2

最終更新日:2018年3月16日

歴史展示室2は、稲城市の明治時代から現代の歴史資料を展示しています。

歴史展示室2
  展示テーマ 時代など 展示内容
1 明治維新と稲城地域 明治時代 明治維新の時代、行政区画の変遷、地租改正など
2 近代教育の変遷 明治・大正時代 江戸時代の教育、小学校などの近代教育制度の変遷
3 私塾教育の展開 明治・大正時代 窪全亮の奚疑塾と小俣勇造の和算塾など
4 稲城村の誕生 明治・大正時代 稲城村の誕生、三多摩の東京府移管、日清・日露戦争
5 大正デモクラシーの時代 大正・昭和時代 関東大震災、南武線、多摩川原橋、生活の近代化
6 戦争の時代と稲城村 昭和時代 世界恐慌の影響、火工廠多摩火薬製造所ほか
7 戦後復興と稲城の農業 昭和時代 農地改革、農業協同組合の設立、農業の復興
8 戦後初期の青年・婦人たち 昭和時代 青年団、婦人会の発足と活動の様子
9 稲城村から町・市へ 昭和・平成時代 押立地域の合併、稲城町、稲城市への変遷
10 旧稲城第五小学校の歴史 写真と記念品 閉校した旧稲城第五小学校の歴史と写真・記念品
11 旧稲城第八小学校の歴史 写真と記念品 閉校した旧稲城第八小学校の歴史と写真・記念品

画像 歴史展示室2
歴史展示室2

明治時代以降の稲城

明治維新の時代

江戸時代には幕府領(ばくふりょう)または旗本領(はたもとりょう)(1万石(まんごく)以下の家臣(かしん))であった稲城の村々は、明治時代になって新政府の支配する新しい時代が幕を開けました。行政区画の変遷、公平・公正な租税賦課(そぜいふか)を目指した地租改正(ちそかいせい)作業などを、当時の資料をもとに紹介します。

明治維新の展示
明治維新の展示

近代教育の変遷

近代的な教育制度は、明治5年の学制(がくせい)の公布に始まります。稲城地域では明治6年から小学校の教育が始まります。当時の教育は、江戸時代からの寺子屋(てらこや)や私塾での教育をふまえたものでした。小学校の古写真や学校教育の変遷表から見ていきます。

稲城小学校の校旗
稲城小学校の校旗

近代教育の変遷の展示
近代教育の変遷の展示

私塾教育の展開

明治時代の頃は小学校教育と並行して、私塾教育も盛んでした。漢学者(かんがくしゃ)の窪全亮(くぼぜんりょう)が創設した私塾「奚疑塾(けいぎじゅく)」は小学校卒業者を対象にして、習字、読物、作文、算術、英語などが教えられました。また関流和算(せきりゅうわさん)の指導者小俣勇造(おまたゆうぞう)は、多くの青年たちに和算の指導を行ないました。奚疑塾や和算塾の関係資料を展示しています。

奚疑塾の資料
奚疑塾の資料

小俣勇造の記念碑
小俣勇造の記念碑

稲城村の誕生

明治22年に六か村が合併して「稲城村」が誕生します。このとき押立村は当時新しくできた多磨村(たまむら)に属していました。明治26年には三多摩地域が神奈川県から東京府に移管されます。明治時代の後半からは日清・日露戦争が起こり、稲城でも大きな影響をうけました。稲城村のなかには戦争の記念碑や招魂碑が建てられました。

稲城村役場と職員(昭和25年ごろ撮影・田中純正氏提供)
稲城村役場と職員(昭和25年頃撮影・田中純正氏提供)

日露戦争の記念碑
日露戦争の記念碑

大正デモクラシーの時代

大正時代になると、人々の生活が徐々に近代化していきました。大正12年の関東大震災では大きな被害を受けましたが、その後、昭和2年には南武鉄道が川崎から大丸まで開通し、昭和10年には多摩川原橋も開通します。この頃には電灯、電話、郵便など生活の近代化がすすみます。

南武鉄道開通案内図
南武鉄道開通案内図

多摩川原橋の建設工事(昭和10年撮影・川島二郎氏提供)
多摩川原橋の建設工事(昭和10年撮影・川島二郎氏提供)

戦争の時代と稲城村

戦争の時代に突入すると、その影響は村の中にも現れます。大丸では、昭和12年から陸軍火工廠(かこうしょう)の火薬工場の建設が始まり、火薬がつくられるようになります。空襲が激しくなると、学童の集団疎開(そかい)が始まり、稲城のなかでも、品川区の山中国民学校の学童約200名が六つのお寺に分かれて疎開しました。

火工廠多摩火薬製造所
火工廠多摩火薬製造所

学童の描いた絵(威光寺)
学童の描いた絵(威光寺)

戦後復興と稲城の農業

戦争が終わって、GHQの主導により農地改革が推し進められました。農業協同組合が設立され、稲城の農業は徐々に復興します。戦争の時代に減少した稲城の梨栽培も少しずつ復活します。

梨のラベル等の展示
梨のラベル等の展示

牛を使った農作業(昭和30年代撮影・鍋島よし子氏提供)
牛を使った農作業(昭和30年代撮影・鍋島よし子氏提供)

稲城村から町・市へ

昭和24年に、旧来から交流のあった南押立地域が稲城村に合併されました。昭和32年には人口増加を受けて、稲城町となりました。さらに昭和46年には東京都の25番目の市として稲城市が誕生します。このときの人口は36,800人でした。

町制10周年記念パレード
町制10周年記念パレード

市制施行記念
市制施行記念

旧稲城第五小学校・第八小学校の歴史

郷土資料室のあるふれんど平尾は、元は稲城第八小学校でした。平成14年4月に第八小学校と第五小学校が統合され平尾小学校となりました。閉校した両小学校の歴史について、写真と記念品などの資料で紹介します。

稲城第五小学校10周年記念
稲城第五小学校10周年記念

稲城第八小学校10周年式典
稲城第八小学校10周年式典

このページについてのお問い合わせ

稲城市 教育部 生涯学習課
電話:042-377-2121