稲城市

高勝寺(こうしょうじ)の観世音菩薩像(かんぜおんぼさつぞう)

最終更新日:2017年6月27日

画像 高勝寺の観世音菩薩像
高勝寺の観世音菩薩像

坂浜の真言宗(しんごんしゅう)豊山派(ぶざんは)に属する高勝寺(こうしょうじ)には、東京都指定文化財の観世音菩薩立像(かんぜおんぼさつりゅうぞう)が安置されています。この仏像はもとは同じ坂浜にあった妙福寺(みょうふくじ)(今は廃寺)の本尊でしたが、廃寺後に高勝寺(こうしょうじ)に移されたといわれます。現在は高勝寺(こうしょうじ)の地蔵堂(じぞうどう)に安置されています。平安時代後半(12世紀前半頃)の制作と考えられ、常楽寺阿弥陀三尊像(あみださんぞんぞう)とともに、市内では最も古く貴重な仏像といわれます。
この仏像は、欅材(けやきざい)を使った一木造(いちぼくづく)りで、像高155.5センチの立像(りゅうぞう)です。台座の上に直立し、右手は垂下(すいか)して掌を前に向け、左手は前に曲げて蓮華(れんげ)を持っています。頭部は宝髻(ほうけい)(まげ)を結い、眼は彫眼(ちょうがん)で作られています。左肩から右脇にかけて条帛(じょうはく)がかかり、天衣(てんね)は両肩からさがって、左右の腕にかかり、両外側に垂れ下がっています。肉身は漆箔(しっぱく)(漆(うるし)を塗った上に金箔(きんぱく)を置くこと)、頭髪・着衣は彩色されていますが、現在はほとんど剥落(はくらく)し、下地がわずかに残るのみです。
構造は頭部体部を一木から彫り出し、内刳(うちぐ)り(像内部を刳り取ること)は行われていません。両肘(ひじ)より先、天衣(てんね)の遊離部(ゆうりぶ)、足先、持物は後世の作と考えられます。
一木造(いちぼくづく)りという古い技法で作られていますが、伏目(ふしめ)の穏和な表情や浅い衣文線(えもんせん)などに藤原時代(ふじわらじだい)(平安時代後半期)の特色が認められます。しかし、やや細面(ほそおもて)であること、両眼がかなり鼻梁(びりょう)(鼻すじ)に接近していることなど、定朝(じょうちょう)様式(仏師(ぶっし)定朝(じょうちょう)が完成した優美で調和のとれた和様仏像彫刻の様式)とは異るところもみられます。制作年代は、これまで平安時代中期から末期まで、諸説が出されていましたが、一木造(いちぼくづく)りであること、典型的な定朝(じょうちょう)様式の中に入らないことなどにより、12世紀前半頃と考えられます。
また、観世音菩薩像(かんぜおんぼさつぞう)を収める厨子(ずし)は、最近の修理で大きな改変を受けているものの、木鼻(きばな)や中備蟇股(なかぞなえかえるまた)の彫刻絵様(ちょうこくえよう)から、17世紀末から18世紀初頭の建築物と考えられ、観世音菩薩像(かんぜおんぼさつぞう)とともに貴重な文化財と言えます。

画像 高勝寺の本堂
高勝寺の本堂

画像 仏像の各部名称
仏像の各部名称

画像 観世音菩薩が安置される地蔵堂
観世音菩薩が安置される地蔵堂

画像 観世音菩薩像を納める厨子(地蔵堂内)
観世音菩薩像を納める厨子(地蔵堂内)

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