東京ヴェルディについて
更新日:2013年2月20日
2001年 ヴェルディ東京移転 稲城市を拠点に!
2001年、東京ヴェルディは東京都をホームタウンとして、新たな一歩を踏み出しました。
ヴェルデイがその足跡をサッカー界に刻み始めたのは、1969年のことです。日本におけるサッカーの発展を予測していた、当時の読売新聞社主・正力松太郎氏が「世界に通用するプロサッカーチーム」の創設を提唱。同年10月1日、日本テレビサッカー部」を母体に「読売サッカークラブ」は誕生しました。翌年1970年秋には早くも関東リーグに昇格し、以来、「読売日本サッカークラブ」「日本テレビフットボールクラブ」と変遷しながら、日本サッカー界のリーダー的存在として、サッカーを通じてスポーツ文化の確立のために寄与してまいりました。そのパイオニア精神に富んだヴェルデイのスタイルは、トップチームの成績だけでなく、クラブのシステムにもいかんなく反映されています。
トップチームにおいては海外からいち早く選手を獲得して、日本サッカー界に新たな潮流を巻き起こしました。1972年には与那城ジョージ、1977年にはラモス瑠偉が来日。彼らは華麗なテクニックをチームに注入し、「独創的」と評されるヴェルデイ独自のサッカースタイルの構築に貢献しました。
Jリーグ元年の1993年にはラモス瑠偉、三浦知良、北澤豪らを中心にニコスシリーズ、チャンピオンシップを制して初代Jリーグ王者として君臨。さらにナビスコカップも制し二冠を達成。翌年には再びチャンピオンシップ、ナビスコカップで勝利をおさめ、2年連続で二冠を獲得する快挙を成し遂げました。
2004年天皇杯優勝を果たすも、2005年にJ2陥落となりましたが、2007年見事J1復帰を果たしました。その後、2008年に再びJ2に降格し、2010年以降もJ2で甘んじております。
今年こそJ1に復帰することができるよう応援をよろしくお願いします。
育成面では他チームに先駆けて、小中高と一貫した指導方法で将来のJリーガーを発掘、育成する下部組織のユース、ジュニアユース、ジュニアチームを設立。それと同時にサッカーの魅力をもっと知っていただくことを目的としたスクールを、全国6カ所で展開し、サッカーの底辺拡大にも取り組んでいます。また、1981年には女子サッカーチーム「ベレーザ」を創設。「ベレーザ」は妹チームにあたる「メニーナ」と、女子サッカー界の中心的存在として活動しています。
施設面ではヴェルデイの本拠地である東京都稲城市に天然芝1面、人工芝1面の計2面のグラウンドを保有。どの窓からでも練習風景を観ることができるように設計してあるクラブハウスにはクリニック、トレーニングルームなどを装備するとともに、専属のドクター、トレーナー、栄養士が選手の体調管理につとめています。
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