このページの先頭ですサイトメニューここから
このページの本文へ移動
稲城市
  • サイトマップ
  • 検索の使い方
  • くらし・手続き
  • 子育て・教育
  • 健康・福祉・医療
  • 環境・ごみ・リサイクル
  • 観光・文化
  • 施設の案内
  • 市政の情報
サイトメニューここまで

本文ここから

江戸の里神楽(さとかぐら)

更新日:2019年6月7日

穴沢天神社の祭礼について

令和元年の穴沢天神社の祭礼は、8月25日(日曜日)です。
江戸の里神楽は午後1時ごろから、穴沢天神社内の神楽殿にて見ることができます。

神楽と江戸の里神楽の歴史

神楽かぐらは古代に発生した芸能で、民俗芸能みんぞくげいのうの中では最も古い歴史をもつと言われます。その起源は、神霊しんれいなぐさめるために演じたもので、神に捧げる舞踊でした。「神を招き迎えたときの神霊のりたもう」を意味する神座かむくらという言葉が、神楽の語源と考えられます。
古代に発生した神楽は、江戸時代初期には江戸市中に伝わり、江戸庶民の好みに応じて、いろいろな形に変化します。その一つが江戸の里神楽で、江戸と周辺の村々の神社の祭礼などで盛んに里神楽が奉納ほうのうされました。この江戸の里神楽の特徴は、仮面を付けた黙劇もくげきであり、神話の世界を題材としたものを中心に演じられたことです。また演じる人たちが専業の神楽師かぐらしであったこともあげられます。
現在都内には、四つの江戸の里神楽が伝承されています。間宮まみや社中(品川区)、若山わかやま社中(台東区)、松本まつもと杜中(荒川区)と稲城市の山本やまもと杜中です。四社中とも国の重要無形民俗文化財に指定されています。

稲城の江戸の里神楽

山本頼信やまもとよりのぶ社中の江戸の里神楽は、初代の山本権律師弘信やまもとごんりつしひろのぶが室町時代初期の応安おうあん6年(1373年)に創始したといわれ、現在の家元山本頼信氏は十九代に当たります。山本家の近くにあった国安神杜くにやすじんじゃで神楽を舞ったのが始まりと言われ、『江戸名所図会えどめいしょずえ』(天保てんぽう7年刊)には、国安神社と仮殿かりでん社人しゃじんの建物が描かれ、この仮殿として描かれた建物が、祈祷殿きとうでんとしての機能をもち、諸事の祈祷や神楽を舞う場所として使われたのではないかと考えられます。
山本家には江戸時代中期の写本と思われる『神事式名録しんじしきめいろく』という神楽の台本のほかに、明和めいわ6年(1769年)に記された『岩井神杜鈴森御神楽格式いわいじんじゃすずがもりおかぐらかくしき』という古文書こもんじょ(神楽の演目と持ち物・形相ぎょうそうを記載)など数々の資料が残っています。これらの資料により、江戸時代から現在に至るまで里神楽が綿々と受け継がれてきたことがわかります。また江戸時代中期頃で50座の里神楽が演じられていたことが記録されています。

江戸の里神楽の演目

現在、山本頼信社中では、40数座の里神楽を演じていますが、その中の代表的な演目は次のとおりです。
〔古典もの〕 天之浮橋あめのうきはし黄津醜女よもつしこめ墨江大神すみのえのおおかみ八雲神詠やくもじんえい天之磐扉あまのいわと剣玉生神けんぎょくせいじん神遂蓑笠かんやらいみのかさ天之返矢あまのかえしや幽顕分界ゆうげんぶんかい天孫降臨てんそんこうりん笠沙桜狩かつささくらがり山海幸易さんかいこうえき妖賊剪滅ようぞくせんめつ三輪神杉みわのかんすぎ狭穂討伐さほとうばつ熊曽征伐くまそせいばつ東夷征伐とういせいばつ酒折連歌さかおりれんが兄弟探湯けいていのさぐりゆ億兆豊楽いひほうらく敬神愛国けいしんあいこく三穂崎漁釣みほがさきうおつり
〔近代もの〕 紅葉狩もみじがり
〔お伽とぎもの〕 稲葉いなば素兎しろうさぎ

このページについてのお問い合わせ

稲城市 教育部 生涯学習課
東京都稲城市東長沼2111番地
電話:042-377-2121 ファクス:042-379-0491

本文ここまで
このページの先頭へ

サブナビゲーションここから

稲城市の文化財一覧

情報がみつからないときは

サブナビゲーションここまで

以下フッターです。
稲城市公式キャラクター稲城なしのすけ
〒206-8601 東京都稲城市東長沼2111番地
開庁時間 午前8時30分から午後5時 代表電話:042-378-2111 ファクス:042-377-4781
Copyright (C)Inagi City. All rights reserved. 
Copyright (C)K.Okawara ・ Jet Inoue. All rights reserved.
フッターここまでこのページのトップに戻る