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庚申塔(こうしんとう)

更新日:2017年6月27日

60日ごとにめぐってくる庚申かのえさるの日に、講中こうちゅうの人たちが当番の家に集まり、一定の儀式のあと夜を徹して飲食を共にし、夜明けと共に解散するというのが庚申講こうしんこうの一般的な形です。これは江戸時代以降に農村で流行した庶民信仰しょみんしんこうであり、講の継続を記念して、供養のために講中の人々によって庚申塔こうしんとうが造立されるようになります。
庚申信仰こうしんしんこうの本来の姿については、いくつかの考え方があります。人間の体内にいる三尸さんしの虫が、庚申かのえさるの夜に天にのぼってその人の罪過ざいか天帝てんていに告げるために命をちぢめられるとする中国の道教どうきょうの教えに仏教的な信仰が加わったとする考えや、中国の道教思想以前からの日本固有の神道しんとうから始まったとする考えがあります。いずれにしても、庚申信仰は平安時代の頃には貴族社会で行われるようになり、鎌倉・室町時代には武家社会にも広まったようです。江戸時代になって各地の農村で信仰され、造塔が盛んになります。
市内の庚申塔について見てみましょう。
現在40基が分布しており、年代的には、寛文かんぶん4年(1664年)を最古として、1800年頃までが造塔の中心であったことがわかります。また建立場所は道路の拡幅などのために移動している場合が多く、地域的な分布の特徴を明らかにすることができません。
庚申塔の形態は、角柱かくちゅう(墓石形)のものが最も多く、次いで駒形こまがた舟形ふながた等となっています。庚申塔の中央に彫られる主尊しゅそんは、ほとんどが青面金剛しょうめんこんごうで、他には地蔵菩薩じぞうぼさつや特定の尊像そんぞうを彫らずに文字だけのものも若干みられます。
下の図は一般的な庚申塔の形を示したものです。邪鬼じゃきを踏みつける青面金剛が中央に立ち、青面金剛の神使しんしである三猿さんえんは、見ざる、聞かざる、言わざるという謹慎きんしんの態度を示すと言われます。日待ひまち月待つきまち信仰を意味する日月や、にわとりなども彫られます。
次に市指定文化財の庚申塔を紹介します。
威光寺いこうじ境内に建立されている庚申塔は、貞享じょうきょう元年(1684年)に現在地の近くの山頂に造立され、後に威光寺境内に移されました。六角柱にかさをつけた石幢形せきどうけいの塔形は大変珍しく、また造立者の藤原能成ふじわらよしなりは、当時この地を支配していた旗本加藤太郎左衛門能成かとうたろうざえもんよしなりと思われ、こうした領主による造塔は大変作例が少ないと思われます。

地域別の分布
地区 数量
矢野口 9
押立 1
東長沼 7
大丸 6
百村 6
坂浜 6
平尾 5
合計 40

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稲城市 教育部 生涯学習課
東京都稲城市東長沼2111番地
電話:042-377-2121 ファクス:042-379-0491

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