平尾台原遺跡出土品(ひらおだいはらいせきしゅつどひん)
弥生時代から古墳時代初頭にかけての土器
平尾台原遺跡の概要
平尾住宅の北側の一段低い台地に平尾台原遺跡があります。昭和52年から53年にかけて3回の発掘調査が行われ、遺跡の内容が明らかになりました。遺跡の時代は縄文時代から、弥生時代、古墳時代、奈良時代にかけてで、大変長期間にわたって営まれた複合遺跡です。発見された竪穴住居跡は、縄文時代9軒、弥生時代から古墳時代初頭22軒、古墳時代後期から奈良時代7軒で、合計38軒発見されました。また弥生時代末から古墳時代初頭の時期の方形周溝墓が5基発見されています。この遺跡の特色は、弥生時代から古墳時代初頭の時期の集落跡と墓跡が発見されたことで、稲城市で初めての弥生時代遺跡の発見でした。これらの遺構からは、各時代の土器や石器などが大量に出土しましたが、特に重要な出土品175点について、稲城市有形文化財に指定されました。
縄文時代の資料
指定された縄文時代の資料は土器と石器です。土器では縄文時代早期・中期・後期の深鉢型土器5点、浅鉢型土器1点、注口土器1点、ミニチュア土器2点、土製品6点があります。深鉢型土器は煮炊き用に使われた土器で、うち1点は早期の尖底土器です。注口土器は酒などの液体を注ぐ道具です。土製品には装飾的な土版と土錘があります。石器では打製石斧48点、磨製石斧5点、石棒3点、尖頭器1点、石皿3点、磨石15点、凹石4点、石錘11点、軽石製浮き1点です。打製石斧はスキやクワと同じ機能をもった土掘り具で、磨製石斧はナタと同機能で樹木の伐採や加工などに使われました。尖頭器は狩猟用の石槍の先端部分で、石錘は川魚とりの漁網に付けた錘です。石皿と磨石は採集したドングリなどを磨りつぶすための道具です。これらの出土品は縄文時代の生活を知るために貴重な資料となります。
弥生時代から古墳時代初頭の資料
この時期の資料は、稲城市周辺地域からの出土例が少なく、特に重要な資料です。弥生時代から古墳時代初頭にかけての住居跡や方形周溝墓から出土しました。壺型土器は8点あり、うち2個体は合わせて埋葬用の壺棺として使われました。台付甕形土器は11点あり、煮炊き用に使われました。胴部に大量のすすが付着しているものも見られます。高坏形土器は5点あり、食物を盛ったり供えたりした道具です。その他に広口壺形土器、小形壺形土器、甕形土器、鉢形土器など計8点の土器があります。特殊な資料としては、青銅製で円筒形の飾り金具が1点出土しています。青銅器の装飾品は出土例が少なく貴重な資料です。またこの時期に使われた砥石が3点あります。
古墳時代後期から奈良時代の資料
古墳時代以降の土器には土師器と須恵器があります。土師器では煮炊き用の長胴甕11点、食物を蒸す道具である甑1点、食器として使われた坏形土器11点、その他に鉢形土器5点、土製支脚1点があります。須恵器では坏形土器4点があります。奈良時代の須恵器の坏形土器底部からは、「陰陽」と書かれた墨書も発見されています。この時期の住居は、まだ竪穴住居でしたが、住居の隅にかまどが築かれ、それに合わせて土師器や須恵器などの土器が使われました。
打製石斧と石棒